マイホームの話ではなく子どもの命の扱い方の話
ひとくちにマイホームといっても、下記に分類されます。
①中古のマンション、一戸建て
②新築のマンション、建売住宅
③建築条件付き一戸建て
④(親族所有地での)建て替え
⑤土地から購入+注文住宅(→小川の家)
マイホーム取得の難易度でいけば、⑤が一番難しい。
最初から小川の家、というケースはほとんどない。
やはり誰でも簡単で比較的安価な方から、
(具体的に見て回るかどうかは別として)
マイホームを検討する。
近い、便利、広い、狭い、暗い、汚い、臭い、高い(買えないと意味で)
我が家の要望を何がしかクリアするから、
検討対象の候補となるわけだけど、
実際にそれで決めるか、決まるか、となると視覚・数値的な問題ではなく、
五感で「ここには住めないし、住みたくない」
あるいは「ここに、こんな家に住みたい」
という直観で決まる場合が多い。
逆にいえば、住まいが心身に及ぼす影響とは、五感に直結で、
実際に住んでしまえば、支払った値段など忘れるし、殆ど関係なくなる。
※背伸びして住宅ローン組んだ人は、生活が逼迫するが、、、
小川の家が訴求している観点は、
住まいの話は、暮らしの話、人生の問題。
これからの住居の選択や判断における優先順位は、
子どもの命の扱い方の問題ということ。
つまり、
マイホームの話は、
わが子の命をどう扱うかという問題に関して、
我が家の方針を決めるということです。
(何も)決めない、話も聞こうとしない
これすなわち、
わが子の命の扱い方について
正面から向き合わないことになります。
要するに、
(子どもの命をどう扱うかなんて)
「どうでもいい」という価値観を立証していることになる。
詰まる所、
「大切じゃない」となる。
※ほかに大切なものがある。
子育て優先の小川の家づくりを通じて、
いろんな家族、夫婦の価値観、生きかた、捉え方、その判断と行動に接する。
夫婦のわが子の命の扱い方が、
子どもの表情や態度、生きる意欲に直結していることを
日々実感します。
子どもの命の扱いは、住まいに表れる。