子どもの命の扱いは、案外軽い。
私にとって、わが子の命とは、
時間×健康×意欲 です。
大切な命を大切にするということは、
具体的には、彼らの時間と健康と意欲を大切にする、となります。
なので、これらの視点で
父親としてすべきことは何か?
それをするにはどうすればよいか?
を常に自問しています。
子どもは成長しますので、
すべきことは刻々と変化します。
すべきことを、すべき時期に、しなくても、
食べ物さえ与えていれば、身長と体重など見た目には「成長」します。
父親として、単なる成長でよいと考えていればそれですむわけですが、「しっかり生き抜いて欲しい」と思うと、人格形成という視点が生じます。
過保護ではなく
自由放任という名の放置でもなく
どこでも育つという名の、環境に配慮しないわけでもなく
彼らの命を素朴に大切にしたい。
小児科医院の前で
幼児を抱えた母親がタバコを吸っている。
待ち時間の活用か。
「子どもの命は後回し?」と尋ねれば、
彼女はこういうだろう
「だって、タバコが吸いたいんだもん」と。
あり得ない、と捉える人は多いわけだが、
同じようなことを私は子どもたちにしていないだろうか、
と自問するようにしている。
「だって、安いんだもん」
「だって、便利なんだもん」
「だって、○○なんだもん」
いのち=生死という認識だと
わが子の命の扱いが、軽くなる場合が多い。