モノを取るか、豊かな心を取るか。
マイホームの総資金の内、
例えば、最後の20万円を何に使うか。
①食洗機
②植樹
食洗機に20万円費やすことによって、
「食器を洗う時間と労力がなくなるから、
子どもとのコミュニケーションが増える」
という論理もある。
他方、
「庭に、様々な樹木を植えることで、
四季を(我が家のみならず周囲の人も)感じ、
目にも地球環境にも優しくなる。
そういう住環境によって、
子どもの豊かな感性を阻害しないようにする」
という選択もある。
この場合、子どもと一緒に後片づけをすることが、
まさにコミュニケーションだと捉える。
物質的な豊かさは、確かに豊かな心につながる部分がある。
しかし、一定水準を超えると、
それは必ずしも豊かな暮らしにつながるとは限らず、
かえって、弊害の原因となる場合もある。
無機質な環境が、人を無機質化させるのか、
無機質な人間が、無機質な環境を好み、
「穏やかに暮らす為に」作り出すのか。
朝から夕方まで存分に遊びまわって疲れ果て、
夕食前に爆睡してしまうキハチ(長男・4才)を
叩き起してまで、風呂に入れ、勉強させるという育て方を選択しない私にとって、
豊かな感性を持って生まれた子どもたちの、
そのなにものにも代えられない感性を
奪い取らない環境をどうやって確保し続けるか、
限られた時間、お金、労力を、何にいくら、どう使うべきか、
昨夜もまた、妻と夕食の後片づけをしながら考えていたのでした。