苦海浄土
友人のNHKプロデューサーAさんから紹介して頂いた一冊。
昨夜、読了。
ちょうどAさんがチーフプロデューサーを務める
Eテレ「100分 de 名著」の番組において
この書籍が特集されています。
なんというか、魂の叫び、でしょうか。
ささやかな日常を、生活を、営みを
命を、人生を、希望を、奪われた人たちの魂の叫び。
声なき声、
声に、言葉に出せない水俣病患者の方々の魂を言霊にして綴ってあります。
私は、
子どもと家族の心身の健康を何より大切にする
地球環境を大切にする
ということを
家づくりにおいて、ビジネスにおいて、
自分の人生において、大切にして生きています。
ただ、それだけ、です。
なぜならば、それが一番大切だと考えるからです。
私は「家を建てる」仕事をしていますから、
「家を建てたい」方から相談を受けます。
子どもと家族の心身の健康を一番に考えて、判断、行動する。
たったそれだけのシンプルなことなのですが、
いざ具体的な話になると
駅までの距離だとか、ちょっとした設備の最新機能だとか、
ガス代や電気代が若干安くなるとか、親がどうだ、
友達を招くにはどうだ、消費税が上がるからどうだ、とか
そういう問題が一番重視され、物事の判断と行動、選択に影響する。
そしてその結果、何が失われていくのかというと、
かけがえのないもの、一番大切なはずのもの、
つまり、日常、子どもが、家族が心身健康に、
安心安全、穏やかな暮らしが犠牲になる。
そもそも、家を建てたいと思う理由は、
今の住居での日常の暮らしがストレスフルだから。
自分と家族の人生が望むものとちがうから。
心身健康的で、快適ではないから、なのに。
一番困っているはずの問題を解決することを後回しにして、
なんだかどこからか持ってきたものが一番重要だと認識して
堂々巡りに陥る。
かけがえのない毎日を、堂々巡りに消費する。
で、一番困るのは、被害者はだれでしょうか?
水俣病同様、
女性と子ども、です。
赤ちゃん、未来の赤ちゃんです。
声が小さくて、弱い。
意思や希望、困りごとを伝えても、後回しにされる。
自分の家族の中で、
もっとも救いの手が必要なのは誰なのでしょうか?
家づくりの相談では、よくご主人がこうおっしゃいます
「わたしは、今の住居でいいんです。とくに困っていないので」
そこには
妻や子どもの視点は
微塵も感じないし、存在しない。
つまるところ、愛がない。
ある家族では、
ご主人が子どものために何とかしたいと言っている。
他方、妻がこういう要望(条件)をあげる
「お友達が招待できるような家でないと(みっともない)」
(雑誌の中でのあこがれを叶えたい)
→それを実現できるほどの経済力は夫にはない
私はこういうやりとりに、直面するとき、
「私にとっては子どもの心身の健康よりも大切なものがある」
と態度で示されるとき、寂しい気持ちになる。
水俣病の拡大した原因には企業の儲け優先主義があった。
地元住民ひとりひとりの、経済的な損得勘定があった。
(大企業が撤退する、縮小すると地域経済が困る)
住まいにおいて、
子どもを心身健康に、のびのび育てること、暮らせることを最優先すると
夫の負担が増す(住宅ローン、通勤時間、社会的責任)
母親も、自由に使えるお小遣いが減る。
でも、
子どもがのびのび健康に暮らしている姿、育っている姿、
そんな日常って、それが続く人生って
最高に、ささやかに、幸せなんじゃないかと私は思います。
追伸:
出水市で家づくりをさせて頂いている
このタイミングで本著に出会って心から良かったと思います。
次回の出張の際には、水俣病資料館に足を運びたいと思っています。