人間には自由がある
近頃、様々な本を併読、再読しています。
- それでも人生にイエスと言う/V.E. フランクル
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この本のある一節が今日は妙に勇気を与えてもらえたので紹介します。
~人間は、強制収容所にいるからといって、心の中も、
分裂病質の「典型的な収容所囚人」になってしまうように、
外から強制されているわけではけっしてないのです。
人間には自由があります。
自分の運命に、自分の環境に、
自分なりの態度をとるという人間としての自由があるのです。
~中略~
強制収容所で抗いしがたい力を持つと思われた心の法則性のために、
「典型的な収容所囚人」の性格に変えられ、
その法則性のいいなりになってしまった人にも、
その人がそうしたものである限り自由があったのです。
つまり、環境の力と影響を逃れて「法則性」に服さず抵抗し、
「法則性」に盲目的に服従するかわりに
「法則性」から逃れる自由があったのです。
いいかえると、そのような人も自由があったのですが、
ただその自由を放棄してしまったのです。
その自由を行使することをいわばあきらめ、
自発的にそれを断念してしまったのです。
のみならず、そうやって、自分自身を、自己を、
本来の自分のあり方を放棄してしまったのです。
自分の心を没落するにまかせたのです。~
それでも人生にイエスと言う V・E・フランクル著 春秋社 p128より引用
E様が子育ての地に千代の幸を選んでくださいました。
E様から初めてご相談を受けたのは、確か去年の2月。
「家を建てたい」というご連絡を受けたのが、3週間ほど前のこと。
同じような境遇、住環境、家族構成、収入、預貯金、夫婦関係etc
子育ての住まいや家づくりというより、「私や子どもたちの今の住居での暮らし・人生」を変える自由もあれば、その自由を放棄し、行使することをあきらめ、自発的に断念してしまう、すなわち今の暮らしを生涯受け入れる母親もいらっしゃる。
私も同様で、子育て優先の家づくりや街づくりをやりとげる、やり続ける自由もあれば、断念する自由もある。ただ私の場合、自発的な断念を勧められることはあっても、自発的に断念するという選択はしない。
理由は単純明快で、E様や小川の家OBに限らず、ネットの向こう側や資料請求・ご相談をしてくださった方々の中に、私や小川の家を必要として下さり「執念」を持ち続けている人がいるであろうことが、伝わってくるからです。
信じてやり続けていたら、こうして依頼していただけた。
そして、千代の幸を選んでいただけた。
自由を行使する自由
自由を放棄する自由
奥が深すぎて容易に理解し得る内容ではありませんが、
E様と自分自身と千代の幸にとって、
この一節に説得力とリアリティを感じたのでした。