家が建つためには、愛と度胸が必要です。
妻が「家が欲しい」と切実に望んでいるときに、
それが叶うかどうかは、
夫の「愛と度胸」にかかっています。
要するに、
家が建つには、愛と度胸が必要です。
正確には
「家が建った」ということは、
夫が妻と子供に対して愛があり、
借金してまで踏み切るという度胸があったということです。
これはすべて結果です。
愛と度胸があるかどうかは、
家が建って初めて証明されます。
家を建てる理由もあれば、
家を建てない理由もある。
問題は
「家は建てる」と言いながらも、
実際には、家が建たないケースが多々あるということ。
「いまはまだ」
「転勤が」
「親がどうなるか」
それぞれに共通するのは
「俺はマイホームはいらない」
「建てるつもりもない」
とは言わないこと。
家は建てる、マイホームは購入する、けれど、
「いまじゃない」「様子を見て」「ここはいや」
「ほかにもっといい条件」という言動です。
ゆえに、モデルハウスや体感会へは足を運んだり、チラシや資料に目を通したりはする。
なかには見積りを要求したりする。
第一子が小学校入学、幼稚園に入園するのはいつでしょうか。
期日は決まっています。
夫が65歳になるのは、何年後でしょうか。
これもまた期日は決まっています。
65歳のとき、どこに住んでいるのでしょうか。
それは持ち家でしょうか、賃貸でしょうか。
どこに住んで、どんな暮らしを望んでいるのでしょうか。
持ち家の場合、住宅ローンの返済は終わっているのでしょうか?
返済が残っているとしたら、残債務はいくらでしょうか。
その先の返済はどうするつもりでしょうか。
賃貸の場合、家賃はいくら支払っているのでしょうか?
いまと同額でしょうか。
仮に家賃を現在6万円支払っているとすると、
65歳からの年金生活で、死ぬまで毎月6万円の家賃を支払い続けることは可能でしょうか?
その家賃が支払えない場合、では、高齢でどこに転居するのでしょうか?
その家賃の安さで移らざるをえなかった住居はどんな物件なのでしょうか?
そのとき、妻と子供たちは、どこで、どんな暮らしをしているのでしょうか。
家の問題は、家族の人生の問題です。
家族への愛があれば、真剣に考え、どうするか、結論を出すはずです。
愛があっても、度胸がなければ、重大な決断はできません。
家族に対する責任をとる度胸がないことが明確になると、
家族は離散していくのではないでしょうか。
なぜなら、愛とは行為、実態を伴うものだからです。
度胸がないことを愛がないと受け取られてしまう。
いずれにしても、家=住む場所は生きている限り必要です。
ですから、この問題から逃れることはできません。
お金の問題は程度の問題に過ぎない。
愛がないか
度胸がないか
愛も度胸もないか。
それは家が建ったかどうかで明らかとなる。
愛と度胸で、望む暮らしを手に入れましょう!