ひめゆりの塔に思う~稼ぎ方、建築の作法~
経営者仲間の同期会で沖縄へ
メンバーは6名。20年前、中小企業大学校直方校にて半年間、ともに研修した同期生の同窓会です(同期生といっても、当時の最年長は55歳、私は最年少の25歳。30代後半から40代前半の経営幹部、後継者がメイン)。毎年各県持ち回りで今年は沖縄(去年は日田)
初日のテーマは「元気企業訪問」。
農業法人、カット野菜を製造販売しているグリーンフィールド社を訪問。
二日目のテーマは「米軍基地と観光」
一度行ってみたかった、普天間飛行場と辺野古(キャンプシュワブ)へ。
三日目は、飛行機が午後便だったので、早朝から「ひめゆりの塔」「平和祈念公園」を目指して、那覇から朝ランへ。
沖縄の建設ラッシュ、観光客増、地価高騰(バブル)って、すごいです。
一方で、車やバスで移動しているとわからないのですが、自分の足で長い距離を歩いてみるとそこには、ずっと変わらないものや急速に繁栄する社会にまったく対応できていない、お金もない、お金も回ってこない、貧しい老廃した町や住民の暮らしがあります。
「ひめゆりの塔」は慰霊の場というより一大観光地。
私は真っ暗な早朝にホテルを出て、走って行って、午前7時頃に到着。その場には、お掃除している住民の方一人だけで、あとは私一人。貸切で、静寂な中、お祈りをすることができました。
平和祈念公園も貸切状態。ひめゆりの塔のあとに、ここにくると、この慰霊の作品の意味が心にしみた。
※同じ景色をどんな思いで眺めたのだろうか。
1時間半後に戻ってきた頃には、駐車場には人や車が溢れ、大型バスが続々とやってきて、観光客や修学旅行生がたくさん訪れていました。
「ひめゆりの塔」は観光地。慰霊の場とは思えない。なぜなら、物販店や飲食店が並んでいて、そこになんというか 「ひめゆりの塔」で起こったことがなにかということを一切問わない、どこにでもある消費施設の集合体だったから。ゆえに、何気にショックを受けた。
お金を稼ぐことは大切ですが、稼ぎ方には作法があると思っています。
少なくとも僕は経営者として、事業家として、その稼ぎ方にはものすごく注意を払っているし、真摯に向き合っている。
ホテルからひめゆりの塔まで片道16km、平和祈念公園まで20km。
帰りはバスやタクシーでなんとかなるだろうと思っていたのですが、平和祈念公園についたころ、目の前でバスが通過した。2時間に1本。タクシーを呼ぶにもそんな場所でも時間帯でもない。3kmほど手前にあったコンビ二まで走って戻り、店員さんに、タクシーを呼べるか聞いたら、大丈夫とのこと。親切に電話番号まで教えていただいた。
80歳以上のドライバーが迎えに来てくれて、糸満バスターミナルまで。びっくりするほどボロボロのターミナル。 土地は広く建物も大きいのにすべてが窮屈。まともなトイレもないが人は穏やかで親切。そこからローカルバスに揺られること40分で那覇へ。
片道走って2時間半の道のりを、タクシーとバスを乗り継いで1時間ちょっとでホテルに戻りました。
建築は人と社会の営みを支える道具。
良い建築は人も社会も豊かにする。
建築は壊さない限り壊れない。
作り手である私は、これから半世紀、快適に使っていただけるように、環境負荷を最小限にするように、考え抜いて、企画設計施工するのが責務だと痛感した。
目先の損得だけで動いてはいけないなあ。
写真は二日目の朝ラン、首里城からの眺め